疎開裁判の報告

1、今年6月24日、郡山市の小中学生14人が郡山市を相手に、福島地裁郡山支部に、年1mSv以下の環境で教育を実施することを求めて、緊急の救済手段である仮処分を申し立てました。
 その理由は、14人が通う7つの学校では、私たちの計算によれば、3月12日〜5月25日までの2ヶ月半だけでも、地上1mの放射線量の積算値は3.8mSvから6.8mSvに達し、あの悪名高いICRP国際放射線防護委員会が一般の大人用に定めている安全基準値である年1mSvの4倍から7倍近い値だったからです。
その後、測定地点を「郡山合同庁舎」の1階に変更して、精度を高めて計算し直した結果、3月12日〜8月31日までの地上1mの放射線量の積算値は7.8mSvから17.2mSvに達しました。

2、この裁判は、過去の公害裁判や薬害裁判とちがって、被害が発生しないうちに、しかも賠償金ではなく、単に「安全な場所での教育」を求めたものです。しかし、これは決して私たちがとっぴな裁判を起こした訳ではありません。というのは、低線量被ばくによる健康被害の発生は100人のうち何人という風に確率的に分かってはいても、具体的にどの人に発生するかは分からないからです。その上、被ばくによる被害が発生してからでは遅いのです。ガンや白血病などの健康障害が発生してからではお金で償うことはできません。だから、被害の発生前に子どもたちを避難させ、被害の発生を予防することが絶対に必要なのです。新しい酒は新しい皮袋に盛れ、と言う言葉がありますが、低線量被ばくによる深刻な健康被害の発生という現実が新しい解決方法=皮袋を要求しているのです。

3、仮処分の手続では、これまで4回裁判所と面談を持ち、当初、9月9日で審理を終え、結論を出す予定でした。しかし、9月9日の当日、私どもの提出した書面により、審理は異例の延長となりました。理由は直前の8月末に文科省が公表したセシウムの土壌汚染のデータにより、初めてチェルノブイリ事故との具体的な対比が可能となったからです。
 矢ヶ崎克馬 琉球大学名誉教授は意見書で、ルギヌイ地区という、セシウムの汚染度が郡山市と同程度の地区を取り上げ、チェルノブイリ事故以後、その地区で発生した異常な健康障害が、郡山の子どもたちをこのままにしておくと、今後、同様の健康障害が発生することが予測されると指摘しました。
また、8月末に公表されたセシウムの土壌汚染のデータをチュルノブイリ事故で定められた避難基準に当てはめて、14人の申立人が通う7つの学校周辺の測定地点を観察したところ、2つの学校が住民を強制移住させた移住義務地域に該当し、4つの学校が、住民に移住する権利が認められる移住権利地域に該当することが分かりました(→それを示した汚染マップ)。

4、仮処分の手続は、今週初めに、相手方の郡山市の反論の書面で延長戦の前半を終えました。しかし郡山市は、私たちが指摘した「低線量被ばくの深刻な危険性」という問題に何ひとつ真正面から反論しようとせず、次のように言うだけです(→郡山市の最終準備書面)。
@.その後、順調に学校での放射線量は下がってきた、
A.申立人の子どもも親も転校の自由があって、危険だと思えば転校すればよい、郡山市はそれを妨害していない、
B.郡山市は子どもの学校滞在時間以外は、関知しない。それは、子どもたちの保護者によって自由に管理されるべきものだから。
C.子どもたちの安全な環境で教育を受ける権利、これを侵害しているのは東電であって、自分たちではない、
D.自分たちは学校で放射線量の低減化のため可能な限りの努力を尽くしている。だから、子どもたちの安全な環境で教育を受ける権利を侵害していない。
以上から、郡山市には子どもたちを安全な場所に避難させる義務は負わない、と。
これは人権宣言の正反対とも言うべき、人権放棄の宣言です。ここには希望がひとつもありません、あるのは絶望だけです。
 なぜ、郡山市は、歴史に永遠の汚点を残すような恥ずかしい主張ができたのでしょうか。それは親分である国や福島県もきっと同じ考えだから、それに従えば問題ないと思っているからです。

5、しかし、このような異常な環境で、異常な健康被害を予見しながら、子供たちをこのまま被ばく環境に置くことは本来、絶対に許されないことではないでしょうか。
これは万人が認めざるをえない真理です。にもかかわらず、国会や政府はこの真理をずっと無視し続けて来ました。そこで、私たちは、本来、「人権の最後の砦」として国会や政府の病理現象を正すことを使命とする裁判所に訴え出ることにしたのです。しかし、そのためには、この裁判を担当する3人の裁判官の力だけでは不可能です。裁判官たちによる世直しを支持する多くの市民の力が必要なのです。
 今から13年前、チリの独裁者ピノチェットはイギリスで病気療養中、スペインの裁判官が出した逮捕状によって逮捕されました。この画期的な逮捕が実現した背景には、2万人もの人を殺害した独裁者ピノチェットの罪はいつか裁かれるという真理を世界中の多くの人たちが支持したからです。

6、来月、この裁判の判断は下されようとしています。裁判所はいま、裁判の原点に帰り「人権の最後の砦」としての使命を果すのかどうかという試練の前に立っています。
 もし、裁判所が勇気を奮って初心を貫いたなら、それは14人の子どもの命を守るだけではなく、福島県の子どもたちの命を守る判断となるでしょう。そして、この裁判所の勇気と初心を支えるのは、皆さん!この疎開裁判の正しさを支持する全国、全世界の無数の皆さんの存在にほかなりません。
 最初、この裁判は2人のお母さんと2人の弁護士の出会いから始まりました。それが5ヶ月後の今日、裁判所に疎開の判断を求める署名は2万4971通集まりました。日々、成長することをやめない赤子のように、日々、この裁判を支援する人々も増えています。
 本日の集会とデモで、疎開裁判の正しさを支持する皆さんの声を裁判所に届けて、多くの市民が「人権の最後の砦」である裁判所と共にあるのだということを示そうではありませんか。


11.10.15 ふくしま集団疎開裁判 弁護団 柳原敏夫