生命現象の動的平衡の回復をめざして

被曝するとはどういうことか(被曝の意味)

1、被曝
 
被曝とは人が放射線を浴びること。
 その結果、人の身体にどういう影響があるか。それについて考えたい。
 例えば、3月14日に、米軍第7艦隊は福島第一原発から約160km離れていたにもかかわらず、被爆したので退避したと報道された(東京新聞3月14日)。彼らは臆病者なのだろうか。彼らの対応は決して単なる感情や気分ではなく、科学的な研究の裏づけに基づいている。例えば以下のような研究である。

2、アーネスト・スターングラス博士の青森市講演(2006年3月)
−−放射能は見えない、臭わない、味もしない、理想的な毒です−−

項目 スライドの解説(抜粋)
略歴 1923年ベルリン生まれ。アメリカのピッツバーグ医科大学放射線科の放射線物理学名誉教授。
1967年から同大学の放射線物理・工学研究所を指揮し、X線と放射線医療診断における放射線量を低減させる新しい投影技術の開発。
放射性降下物と原子炉核廃棄物による人間の健康に対する広範囲な医学的影響調査研究を行い、その結果をアメリカ議会で発表。すなわち、アメリカとソ連が核実験を繰り返していた冷戦当時、核実験の死の灰(放射性降下物質)による放射線の影響で世界の子どもたちの白血病やガンが急増している事実を議会で報告し、それがきっかけとなって米ソ核実験停止条約が締結された。

長年に渡って低レベル放射線の危険性を訴えている。
現在、ニューヨークの非営利団体「放射線と公共健康プロジェクト」の科学ディレクター。
著書 「低レベル放射能」(1972年)、
「隠された放射性降下物」(1981年)、
「ビッグバン以前」(1997年)
スライド 01 原子力発電所からの放射線拡散に興味を持つきっかけ----子供の誕生。
イギリスのアリス・スチュワート博士の論文(イギリスの子どもの ガンや白血病が急増している原因が妊娠中にエックス線を浴びたことと判明)が、わずかな放射線でも人体には影響を与えることの初めてヒントとなった。
スチュワート博士の発見は、数回のエックス線照射でガン発生率が倍増すること(1回のエックス線の放射線量は自然界の環境放射線の約 2年分に相当)。
そこから、核実験の後のアメリカの子どもたちにどのような影響があるのか調べ始めた。‥‥>全文とグラフ
スライド 02 戦後の乳児(0〜1歳)の死亡率の変化を調査。年ごとに始めは下降していきますが、途中で急に下降が止まります。それはネバダの核実験が始まっ たときです。それ以降、核実験のたびに乳児死亡率も合わせて上昇しています。‥‥
1961年に北シベリアでソ連が5000万トンのTNT爆弾に相当する巨大な原爆実験をしました。広島原 爆は1万キロトンTNTでした。広島の5千倍の威力の原爆です。これは北半球に住む人間全員に腹部エックス線照射をしたことになります。これから世界中の 子どもたちにガンや白血病が発生することが予想されます。そしてその後、実際にそうなりました。私は核実験を止めないと世界中の子どもたちにガンや白血病 が発生することになるとサイエンス誌で警告しました。‥‥>全文とグラフ
スライド 03 幸いなことに、核実験停止条約締結後乳児死亡率が下がったのです。しかし、すべての州でベースライン(核実験が なかった場合に予想される乳児死亡率)に戻ったわけではありませんでした。 多くの州では乳児死亡率の下降が止まってしまいました。‥‥>全文とグラフ
スライド 04 乳児の死亡の主な原因は出産時の体重が平均よりも低体重(2キロ以下)であること。この乳児の低体重率は核実験停止条約締結後低下し、そのま ま降下するはずでした。しかし、2つのことが起こり、下降が止まり上昇し始めました。1つがペンシルバニアでスリーマイル島事故。もう1つがら1986年のチェルノブイリ原発事故。その結果、低体重率はその後上昇し、核実験が行われていた時期と同じレベルに戻ってしまいました。
つまり、核実験による放射性降下物が原子炉事故と原子力発電所の通常運転による放出にとってかわられたのです。‥‥>全文とグラフ
スライド 05 たくさんの原子炉がある州では、乳幼児死亡率は核実験中は下降 が停止して横ばいになっていますが、(核実験が終わっても)もとのベースラインに戻ることはありません。ところが原子力発電所がないネバダでは核実験が終 わるとベースラインに戻っています。ほかの原子炉がないニューメキシコ、ケンタッキー、ワイオミングなどの州も同様です。これは原子力発電所の原子炉が関 係していることを示す非常に明確な証拠です。 ‥‥>全文とグラフ
スライド 06 1935年から乳幼児死亡率は年率約4%ほどで下がって行きます。それはベースラインにそって 下がっていくはずだったのですが、上昇し始め、核実験期間中に1958年にピークになり、その後下がって行きますがベースラインまでに戻ることはありませ んでした。‥‥>全文とグラフ
スライド 07 重要なことはアメリカ国民全員が被曝している事実です。この図は7、8歳になったこどもから取れた乳歯に含まれているストロンチウム90の値で、骨に蓄積 していることがわかります。この表から60年代前半に、乳歯中のストロンチウム90が環境中のストロンチウム90の値を反映していることがわかります。核 実験が終わると下降しますが、その後下降が止まり横ばい状態になります。ちょうどこの頃アメリカでは大規模な原子力発電所が操業開始しました。それは日本 も同じです。‥‥>全文とグラフ
スライド 08 これまでに、私たちはほぼ5000本の乳歯を調査しました。
コネチカットのミルストーン原発から数マイル(1マイ ル=1.6キロ)以内に住んでいる人たちのレベルは、核実験中の時の最高値よりも高くなっています。それと同じ原子力発電所がある日本では、なにも危 険なものは出していないと言われています。表から、100マイル(160キロ)離れていてもミルク中には高 いレベルのストロンチウム90が含まれていることがわかります。多くの原子炉を抱える日本ではその周囲が非常に放射能汚染されていることが予想されます。‥‥>全文とグラフ
スライド 09 この表から、1970年から1975年にかけて、ガン死亡率が原発からの距離に比例して低くなっていることがわかります。原子炉があるところではわずか5 年間で58%死亡率が上昇しました。これから、ガンが原子炉からの核物質放出を明瞭に反映するインジケーター(指標)であることがわかります。しかし、未だに原子力発電はクリーンだと宣伝されています。放射能は見えない、臭わない、味もしないからです。理想的な毒です。‥‥>全文とグラフ
スライド 10 コネチカットでは1935年からの甲状腺がん発生のデータがあります。1935〜1945年では変化がなく、むしろ減少傾向にあります。医療の向上や改善によってさらに減少するはずでした。しかし1945 年からわずか5年間で3倍にもなります。そして核実験のピークから5年たった1965年に再び上昇します。また、大きなミルストーン原子力発電所が稼働し始めてから5年後に急激な上昇がはじまります。チェルノブイリの事故から5年後に大きな上昇が起こります。ここで重要なことは、甲状腺ガン発生率の増 大が医療の向上を反映していない事実です。‥‥>全文とグラフ
スライド 11 コネチカットの乳がん発生率です。同じように1935年から1945年までガンの発生率は上昇していません。実際、多少減少傾向にあります。そして核実験中に上昇し、1967年にコネチカットで最初のハダムネック原子炉が稼働すると急激に上昇します。1970年にミルストーン原子炉が稼働するとその5?8年後に大きく上昇します。
日本でも同じような研究をすべきでしょう。 ‥‥>全文とグラフ
スライド 12 政府は、肺がんやその他の病気は喫煙が原因だとみなさんに信じてほしいと思っています。大規模な核実験が終わった1961〜62年から1990年までに、18歳以上の女性の肺がん死亡率は5倍以上になっています。実際には女性の喫煙率はどんどん落ちているのにです‥‥>全文とグラフ
スライド 13 世界中の政府や国際原子力安全委員会は、放射能による影響はガンと子どもの先天性障害だけだとみなさんに信じ込ませようとしています。しかし実はさま ざまな面で健康に影響を及ぼしているのです。乳児死亡率や低体重児出産のほかに糖尿病があります。1981年から2002年の間にアメリカの糖尿病罹患者 は5.8x百万から13.3x百万に増加しました。それと同時に原子力発電所の稼働率は40?50%から92%に増大しています。‥‥>全文とグラフ
スライド 14 アメリカの普通死亡率推移(1900〜1999)。1900年から1945年までは年率約2%で死亡率が下がって行きました。この間ずっと、化学物質や喫煙率も増えているのにもかかわらず死亡率は減少して います。それはネバダの核実験が始まる1951年ころまで続きます。そして核実験が終わって少し下がりますが、やがてほとんど下がらずに横ばい状態が続き ます。‥‥>全文とグラフ
スライド 15 日本の膵臓がん死亡率。1930年から1945年ころまでは低くまったく変化がありません。しかし、1962〜63 年ころまでには12倍に増加しています。これからお話しすることは本当に信じ られないことです。この12倍になった死亡率が、2003年までにはさらにその3倍から4倍になったのです。ストロンチウム90やイットリウムが環境に放 出されることがなければ膵臓がんの死亡率は減少していたでしょう。‥‥>全文とグラフ
スライド 16 日本の5〜9歳男の子のガン死亡率。1935年から1947年までは実際に死亡率が減少しています。それ以降、 ソ連の核実験やアメリカの太平洋での核実験が度重なるにつれ、6倍に上昇しています。そしてこれ以降もさらに増加していることがわかっています。これらの データは政府刊行物である「人口動態統計」からとりました。このような詳細にわたる統計は世界でもいままで見たことがありません。‥‥>全文とグラフ
スライド 17 アメリカ(非白人)と日本の男性のガン死亡率を比べたもの。1920年から1945年まで、この間喫煙率や化学物 質の量が増加し、また石油、ガス、石炭の消費量増加による大気汚染も増加しているにもかかわらず、日本ではほとんどガンの増加はありません。非常に重要な のは、このことを理解しないと放射能を理解することができません。1945年以降ガン死亡率が急に上昇し、1962年にまでに42%増加します。それ以前 にアメリカと日本で少し減少したところがありますが、これは核実験を一時停止した時期です。
これらは核降下物の低レベル放射線が原因であることの強力な証拠です。しかし、政府は、その量があまりにも低すぎて検出できないと主張しています。 ‥‥>全文とグラフ
スライド 18 1970年以降の日本の原子力エネルギー生産量。一時増加が止まった時期もありますが、最近では急激に上昇しています。これは原子炉の稼働率をなるべき上げるようにしているからです。アメリカも同じです。‥‥>全文とグラフ
スライド 19 1950年から2003年までの、さまざまなガンによる男女別死亡率の推移。1970年ころから急に上昇し始めますが、 1950年ころからすでに上昇し始めています。もっとも増加したのは男女とも肺がんです。大腸がんは女性の方がやや高いですが、やはり急激に上昇していま す。膵臓がんは1962年までにすでに12倍に増えていますが、さらに大幅に上昇しつづけています。このことから日本になぜアメリカの倍の糖尿病があるのかという説明になります。‥‥>全文とグラフ
スライド 20 1899年から2003年までの主要死因別死亡率の推移。
1900年代初頭は世界的な疫病が流行し、1918年に 肺炎死亡率がピークになってやがて降下していきます。抗生物質の出現で肺炎を含む感染性疾患は1990年ころまでに減少します。
ではガンはどうでしょう。 現在日本中の最大の死亡原因はガンです。1962年ころまではガンの大きな増加はありません。それまでの感染症 (伝染病)が増加した20〜30年間にガンは多少増加していますが、これはガン全体の20%がバクテリアやウイルス感染に起因することが影響しています。 感染症が横ばいになるとガンも同様に1945年まで変化しません。その後1947ごろから急激にガンが上昇し始めます。そして1966年商業用原子力発電 所の放出が始まるとさらに上昇します。もし、これらが核実験によるものであるのなら減少していかなければならないはずです。ところが実際には、ガンの早期 発見や治療法の向上にもかかわらずガン死亡率は増加しつづけています。1990年代はじめから急激なガン死亡率の上昇が見られます。このときに放射性物質を含む劣化ウラン兵器がアフガニスタン戦争やイラク戦争で用いられました。それが世界中を回っているのです。
ですから、平和的な原子力発電所の放出から平和的な劣化ウラン兵器に置き換わったわけです。安すぎて計量できないと言われたクリーン原子力エネルギーのおかげというわけです。 ‥‥>全文とグラフ
スライド 21 1899年から2003年までの死亡数と死亡率の推移。世界的なインフルエンザ大流行の時期に大きなピーク(1918年)があります。その後下降し、 広島・長崎原爆後もまた核実験が終わったあとでも下降しています。それはその後もそのまま下降するはずでした。ところが1970年ごろから下降が止まりま す。そして1990年ころになって、1918年以来はじめて上昇し始めます。これから国の医療費の負担がいかほどになったか想像できるでしょう。国の将来 を担う新生児が影響を受けているのです。赤ちゃんだけではありません。死ななくともいい人びとが多く死んでいるのです。巨大な軍事費の代わりに、あなたの 国はなんとか死亡率を下げようと巨大な医療支出を被っています。どなたか広島・長崎以降の国家医療費の総計を原子力発電所の推移とくらべて調べてみるとい いでしょう。‥‥>全文とグラフ


3、米国と日本の乳がんの分析
−−肥田舜太郎・鎌仲 ひとみ『内部被曝の脅威』(ちくま新書)114〜120・141頁から−−

項目 表題 内容
米国の乳がん 公表された事実 1950〜1989年の40年間に婦人の乳がん死亡者が2倍となった。そのため、世論は政府に原因究明を求めた。 114
政府による原因究明 政府の調査報告書曰く「乳ガンの増加は、戦後の石油産業、化学産業などの発展による大気と水の汚染など、文明の進展に伴うやむを得ない現象である。」 114
統計学者グールドの批判 1、全米3053郡が保有していたその40年間の乳ガン死亡者数を使い、増加した郡と横這いか減少した郡とに分類して、郡ごとの動向を調べた。その結果、全米一様に乳ガン死亡者が2倍になったのではなく、1319郡(43%)が増加し、1734郡(57%)では横這いか減少していたことが判明。
2、では、なぜ、このような明瞭な地域差があるのか。
3.その原因を探求した末、彼は1つの結論に達した−−原子炉から100マイル(161q)以内にある郡では乳ガン死亡者数が増加し、以遠にある郡では、横這いか減少していた、と。
ーー>原子力施設と乳ガン患者の相関関係の図 (図の黒い部分が原子力施設から100マイル以内に位置している郡)
なお、グールドの原文と図は−−>こちら
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日本の乳がん 公表された事実 1950〜2000年の50年間に、婦人の乳ガン死亡者数は4.3倍となった(10万人あたり1950年が1.7人が、2000年では7.3人)。2006年では対10万人率が17.3。10倍強となったーー>グラフ 115
肥田舜太郎らの分析 グールドにならって、日本で原子力施設から100マイル(161q)の円を描いてみた。すると、列島全体が多重の円で蔽われてしまって、グールドのように2つの地域のに区分けできなかった。−−>日本地図と日本の原子力施設参照 115
東日本6県の特徴 これまでに、乳ガンの死亡率が12人(10万人あたり)を超えた県は青森・岩手・秋田・山形・茨城・新潟の6県。この6県の乳ガン死亡率のグラフには顕著な特徴が見て取れる−−>6県の乳ガン死亡率のグラフ
それは、1996〜1998年だけ突出している。
なぜ、このときだけ突出したのか。
肥田らは原因を探求した末、1つの結論に達した−−1986年のチェルノブイリ事故による放射性物質の汚染である。すなわち、
(1)、この事故による放射性物質の汚染は東日本でひどかった(原子力安全研究グループチェルノブイリ新聞切り抜き帖 86/07/02朝日「放射能汚染は東高西低」 1950年以来のセシウムの秋田での降下量のグラフでも、1986年のチェルノブイリ事故のとき、セシウムの降下量が突出している)
(2)、放射性物質が体内に入ってから乳ガンを発症し死に至るまでに平均して11〜12年はかかると言われている。
(3)、従って、上記6県で1996〜1998年にだけ乳ガン死亡率が突出したのは、10〜12年前のチェルノブイリ事故による放射性物質の汚染によるものである。
118

 以上のまとめは、もっぱら大江希望『「内部被曝」について』第1章 「内部被曝」とはによるものである。


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